栗芳ですが、何か。

たぶん、いけばな日記。

いけばなを習うということ

youtu.be

いけばなを習うって、どういうことなんだろう?って

自問自答の日々は、まだまだ続いてるわけ。

 

人によってね、いろんな考え方があるはずだから、

答えって限定されるものでもないよな、とも思うわけ。

 

おうちでね、花を飾ってみようって思える、その気持ちのコンディションというか、

そう思える余裕さ加減というか、そういう精神状態でいられる自分作りが

あってこその、いけばなだと思うわけ。

 

気持ちに余裕がなければ、花を飾ろうって思えないよね。

 

だからね、花を飾れる気持ちコンディション作りが出来ているっていうだけで

充分に自己管理できてると思うわけ。

まずはね、ここを褒めていいんじゃないかと。

 

で、花器なんてなくてもね、花はいけられるわけ。

とりあえず、こんな感じにいけるんちゃうかな。

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で、このパターンに飽きてくるような人が、いけばなを学ぶと

おもしろい!って感じるんちゃうかなと思ってる。

 

で、何をするかっていうと、「折留め」っていう手法を使うのね。

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茎を折った箇所を、花器にあてて固定させる。

ちぎれたらダメだからね。ちぎらないように折ってね。

で、足元を絡めれば、強度アップ。

 

花器に、茎をそのまま突っ込むだけの状態だと、

置き場所を変えたいときなんかに、移動させると、頭が動いて

せっかくいけた花の位置が変わっちゃうんだけど、この手法を使うと

固定できるから、動かないの。

花をいける角度の調整もできるから、立体感もでてくるよ。

 

 

とうとう、ユーチューバーになりました。でびゅーだわ。笑

 

 

 

 

華道と量子力学

なんかね、小難しい題名つけちゃったんだけど、

ずっと書いてみたかった記事だったわけ。

 

あっ!

 

って氣づいてから、ずいぶん時間が経っちゃいまして。

どこからどう書こうか、どう書けば、シンプルで解りやすく説明できるのか?

そんな世界観に飛び込んでいきましたらば、少しずつ見えてきた氣がしてるわけ。

 

で、忘れないうちに、書いてみようと思って。

 

この世界観が、私の中で、今後、どう変化を見せていくのか、みたいな可能性も

否めないので、現時点で、こう捉えているっていう前置きフィルターを装着して

から読んでくださいましな。

 

 

【枝を撓(た)めて、曲をつける】という技について。

 

これね、力任せにして枝を曲げるのってことではないの。

力は、あくまでも補助。というか、ツール。

まずは、

①仕上げたい曲線を、頭の中でしっかり描く。(イメージング)

②枝に触れ、頭の中に描いたどの部分の枝が、触っている枝と同じ場所にあるのか

 の確認作業をする。

③枝に触れながら、イメージした部分の脳内の枝が曲げやすい柔らかさになるように

 イメージする。

④触っている枝の感触と、脳内の枝の感触が一体となったときが、曲げられる合図。

 この感触を得られたときに、枝に力を加えて撓めす。

 この作業に慣れてくると、触れている枝の内分の感触が皮膚を通して伝わってくる。

 

これがね、量子力学を利用してるってことなんだと思うわけ。

量子って、物質を作りだす、小さな単位のもので、

小さすぎて、いろんなものを通過しちゃう。

 

 

人の氣(念)を利用する。

量子として枝に注入、みたいな感じになってるんちゃうかと。

 

華道歴の長い人って、言語に頼らなくても、いつの間にか、これを体得してると

思うんだけど、これからの人達って、歴を刻むほど関わっていける人が、

どのくらいいるのか、っていうことに、私は激しく疑問を抱いてて。

これから習ってみようと思ってくれた人に、できうる限り最短で習得させたいと

思ってて。そしたら、ここにたどり着いた、みたいな。

 

この量子力学作用に氣づくと、勘が研ぎ澄まされてくるよ。

 

物事に対する良し悪しは、自分で決断できるようになる。

自分の出す答えが、第三者と違っていても、不安度は、ぐっと低くなると思う。

そもそも、不安って、自分自身が作りだしてしまった妄想だと思うんだけども。

 

本来の日本人が持っていた感覚だと思う。

現代の日本人は、これが随分薄れてきてしまっているんじゃないかな。

日本いけばな協会誌

通称「日いけ」と呼ばれている団体の会員になっているために、

定期的に様々な資料が送られてくるんだけど、真剣に読んだことはない。

というか、なかった。

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だけど、昨日は、協会誌というものが送られてきて、

入会して、初めて、素敵な資料をいただけた!と思える内容に感激しまくった。

 

所属している流派の作品(293作品)が、掲載されている雑誌だったため、

こういう生け花もあるのかぁ、って、もうね、釘づけ。

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この協会誌は、大切に保管しようと思う。

 

丹田の氣(つづき)

華道もさ、「道」がつくから、身体の使い方とかの指導があったんじゃない?

って、堀田先生に聞かれたんだけど、

思い当たることなんて、何もなくて。

 

ほら、生けあげたものが、なんぼの価値があるわけで、

自分の身体がどう?!、って、意味わかんなくて。

 

ノコギリ使ったり、金槌使ったり、レンチ使ったり。

女子力より男子力が必要なケースもあるし。

うむぅぅぅって、チンプンカンプンで出口が見つからない状態だったんだけど、

 

1ミリ胸を広げて、1ミリ頭を持ち上げる姿勢をしたら、

丹田に氣が集まってきたのが、瞬時にわかって。

そしたら、何かがスコーンと入ってきた感じがしたわけ。

 

 

それまで、何に悩んでいたのかっていうと、

私の中で、一番得意な杜若を活けるということにあたって、

出来上がる雰囲気がいつも同じになっちゃって、面白みに欠けるな、って

感じ始めてたわけ。

 

私は、これしか活けられないのか?みたいな。

 

それはそれで、綺麗なんだけど、綺麗どまりというか。

もう一つ何かないの?というか、

そろそろ階段登ろうか?みたいな。

でも、登りたいんだけど、階段が見つけられないよ?みたいな。

 

そんな砂漠に放り出されて、途方に暮れていたんだけど、

スコーンと入ってきた何かのお陰で、とりあえずやってみようと思えたわけ。

 

 

こういう時って、花材がしゃべりかけてくれるわけ。

葉を選んでいるときに、これ、それ、みたいな閃きを感じるというか。

そこに理論なんてものは何もなく、ただただ第六感で選ぶ感じ。

 

あぁ、この感触、久しぶりだわ、なんて思った。

これが氣だよね?みたいな。

 

そういえば、枝を撓める時、葉を撓める時、これ、使ってるなって思って。

枝に指をあて、内部構造に想いを馳せて、指を当ててるポイントに氣を合わせてる

というか、送っているというか、何かしてるなと思って。

そうやって、私は曲をつけてるなと思って。

 

生け花してる時しか、使いこなせていない氣なんだけども。笑

 

 

で、もそっと、上手に氣を使いこなせたら、何か違ってくるかも?!

 

 

っていう大人の階段を見つけたよっていう話。

 

おわり。

 

 

 

 

 

丹田の氣?!

なんか、右ももの付け根が痛いわけ。

一ヶ月前から痛いわけ。

それでも、日常生活に支障をきたしているわけではないから

放置してたんだけども、日曜に外出先で和式トイレしかなくて、

しゃがみこんだ瞬間に電気がビビって走ったというか、

”んごっ”  って、口から変な音が勝手に飛び出しちゃって、

隣の人に聞こえてしまったか?って、ほんの一瞬の焦りから、

私の中の恥じらいが開花しそうだったんだけども、

覚悟のできていなかった激痛が、瞬時に枯れさせた。

 

もうね、即効で本能が主役になってたというか。

視界に入ってきた手すりをもの凄い勢いで掴んでたと思う。

 

アラ50で、手すりにしがみ付きながら用を足す姿なんて、笑えんし。

 

で、一ヶ月前の会場設営作業が、足に負担をきたしてたわけやなと、

ようやく対策を練ろうという思考回路が働き始めたら、

今週末にも、会場設営作業に参加しなくちゃいけないことを思い出して、

松葉治療室でなんとかしてもらおうって思いついたわけ。

 

で、2時間みっちりほぐしてもらって。

で、相も変わらず、身体の使い方というか、重心の置き方というか、

なんか、そんなことを教えてもらって。

 

なんとな~く理解して、なんとな~くやってみようかなと思っていても

仕事の真っ最中に、そんなこと脳裏によぎってくれないし、

疲れた合間の休憩の時間なんて、放心状態だし。

 

ってか、私の頭って、一度にあれもこれも考えられんし。

 

みたいな状態で帰宅したら、堀田先生から

「呼吸法の話をするのを忘れた」ってメッセ入って、

さっき電話で教えてくれたわけです。

 

堀田先生の話って、同じ感覚を持ち得ている人にとっては、

普通の話なのかもしれないけど、持ち合わせのない人にとっては、

宇宙空間に放り出されて迷子になるわけ。

あー、蜷川さん、今、迷子になってるな、って電話の向こう側で

感じながらも、出来うる限りの持ち駒を使って、なんとか伝えようって

思ってくださる感じが強くて、

 

「1ミリ胸を広げて、1ミリ頭を突き上げる。」

 

の姿勢をやってみたわけです。

 

堀田先生曰く、「身体が一番楽な姿勢」ってことだったんだけど、

 

 

 

これって、「丹田に氣が集まる姿勢」だよね?!って

 

 

スコーンと何かが入ってきた。

 

 

 

つづく。

6月6日はお稽古の日。

朝、車に乗ったら、ナビが「今日はお稽古の日です。」って教えてくれたわけ。

そんな日が設定されているなんて、ぜんぜん知らなかったんだけども。

 

なんか、ナビのメッセージが、私の琴線にいつの間にか触れていたみたいで

「先生と生徒の境界線ってどこ?」っていう宇宙空間に放り出されたわけ。

 

師匠と弟子の境界線とは、まったく別物だよね?!

教えることと学ぶことと?!

 

とかね、なんか、いろんなループに襲われた。

 

ってか、襲われることを受け入れてみようって思えた瞬間に、

いろんな感情が堰を切ったように流れ出して、吹き飛ばされそうな勢いに

自分でもおったまげちゃって、切れた堰をつなぎ直そうとか思ったんだけど、

できなくて、ちょっと焦ったわけ。

 

とりあえず、学んできたことを習得できたということで、

そこを到達地点と捉える人と、通過地点として捉える人、

っていうジャンルが出来てくると思う。

 

ってか、

んーーー、

 

教えてもらったことが、全部できるようになった時点で、

満足できちゃう人と、それを不満に思う人がでてくるって感じかな。

 

後者の場合、凄く手詰まり感に襲われるっていうか。

もの凄い勢いで、虚しさを感じるようになるわけ。

学ぶという興奮を味わえなくなるから。

これに対する失望感みたいなものだと思う。

 

 

手詰まり感に襲われることなく、スムーズに次のステップを踏めるように

なる人なんてのも、そうそういないとも思うんだけども。

 

この次のステップの存在を知って、自力歩行できるようになった人のことを

先生というんではなかろうか。

 

みたいな自問自答ループで迷子になってるわけ。

 

 

ってか、ぶっちゃけ、

 

私が自信を持ってるジャンルのいけばなに対して、

「完成形だと思ってます?」って弟子に言われて。

 

 

「手詰まりおこしとるんぢゃぁぁぁぁぁ(涙)」

 

 

 

って思った。というか、思えた。氣づいた。

ちょっとスッキリした。

 

 

 

ようやく、自分自身の状況を口に出して言えるようになった

自分がでてきたなと思ったって話。

 

 

モンモンとしてるときって、自分の立ち位置って、

迷子以外の何者でもないよね。

 

 

 

 

 

 

中日いけばな芸術展と流展と。

怒涛の週末が終わった。

なんかもうヘトヘトで。

とりあえず、乗り切った。

 

って、自分に呪文をかけてみるというか。

 

あぁ、これがこうだったよな、とか、

あぁ、あそこは、こうしたほうがよかったかな、とか、

 

 

疲れすぎてて、まだ何の感情も生まれてこない。

 

 

お疲れ様会で、焼鳥食べるんだ~♪

まずは、本能を満たそう。笑

 

▽中日いけばな芸術展2017(テーマ:「光」)

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▽八代流いけばな展2017(テーマ:「うつろひ」)

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頑張りましたっ!